スズキノザッキ

アニメオタク&ミニマリスト(半ば)な庶民派レビューのブログ

【災害時】対岸の火事だと思うことは仕方がない。問題はどういう行動を起こすか

2019年9月に襲来した、台風15号により、僕の住んでいる地域は被災したのですが、その時に知人が発した「対岸の火事」という言葉がちょっと気になったので、それについて書いてみたいと思います。

 

 


対岸の火事

《向こう岸の火事は、自分に災いをもたらす心配のない意から》自分には関係がなく、なんの苦痛もないこと。(デジタル大辞泉より)

要は、いくら大変な事態でも、自分のいるところと関係なければ問題ないみたいな意味ですね。

 

事の経緯

仕事関係のグループLINEで親戚の元へ避難した人が「こちらでは対岸の火事といった感じです…」といったコメントをしました。

 

僕の考え①他人の痛みがわからないのは「仕方がない」

僕としては(被災地に身を置く立場ながら)、これに疑問符が浮かびました。

「それって仕方のない事じゃないの?」と。

なぜなら、逆の視点から言うと、自分たちからすると毎年起こっている台風の被害による日本全国各地の報道に対するリアクションは、至って冷静であるからです。例えば、「台風○号により○○県の○○市の河川が氾濫、床上浸水が○百件」という報道がされ、浸水した家屋・沈んだ無数の自動車等の凄惨な光景がテレビに映ったとします。しかし、(少なくとも僕の職場や近所では)その話題はあまり会話に挙がらない訳です。

つまり、「その立場が我々になっただけ」であり、「普段気にしない事象の対象が我々になった」ことで、「対岸の火事のようにしやがってと恨み節を言う権利は、我々には無い」と思うのです。むしろ傲慢だとすら思いました。

自分の痛みを他人に伝える術が無いように、他人の痛みを知る術は(少なくとも今の)人間には無いのです。 

 

僕の考え②こんな時だけ非被災者を責めるのは「都合が良すぎる」

僕の実家の教えが「自分がされて嫌なことは他人にするな」であるのですが、それを僕が「自分ができないことは他人に強要するな」と曲解していることもあり、さすがに自分自身でも「ロジカルすぎるのでは?」と思います。

しかしいくら非常時・極限状態であるとはいえ、都合の良い時だけ他人に責任を求めるのは良くないことだと思うのです。

 

では、どういった行動をするか・考えをするか

というところですが、別に「被災地に寄付をしろ」という意味で言っているのではありません。(勿論、被災地に支援をしてくださることはありがたいことではあるのですが)むしろこれには、この惨状をを知った個々人が、少しでも『今回このような災害が起こった。ならば自分たちがこういった災害に逢った場合を想定してどのような備えをするか』と考えてくれる、”考えを改める機会”であればという意味が含まれています。『災害大国』日本に住まう者としては、報道等から災害時に何が必要かを読み解き、生き残る術を模索すべきだと、個人的には思うのです。

 

 


いやー、被災地側からすると「不謹慎だ」ということを気にしないで好き勝手書けて良いですね(逆にクソ野郎)。しかし、今回書いたことは冗談抜きで多くの人に意識して欲しいことではあります。

被災していないところで普段通り・安穏と暮らしている人たちを、羨みはすれども恨んではいけません。

弱小ブログで読んでくださる方は少なかれども、『災害大国』日本に住まう者として、多少なりとも災害時の考え方・備え方について考え直す機会となれば幸いです。